インターネットの成れの果て⎯⎯私たちのデジタルホームレス化をめぐって

インターネットとともに失われた三十年

今年は1995年から数えて三十年になります。昔話になってしまいますが、1995年といえば、そこはかとなく漂う世紀末感のなか、いくつかの節目になるような事件の起こった年でした。一月には阪神淡路大震災がありました。三月には地下鉄サリン事件。十一月には『新世紀エヴァンゲリオン』の放送がはじまります。十一月にはオウム真理教が武力革命を起こすことになっていたようですが、計画は頓挫。そのかわり、というわけではないものの、 同月には Widows 95 が発売されました。八月にテレホーダイという定額回線制サービスがはじまっていたこともあり、インターネットが私たちの日常に浸透してゆくのはこのころからです。実際、1995年は「インターネット元年」と呼ばれており、流行語のひとつに「インターネット」が輝いた年でもありました。

今になって思えば、そのとき「安全神話」という語とあわせ「ライフライン」が流行語として肩を並べていたのは示唆的です。これは震災によって電気やガス、水道といったインフラが壊滅的な被害を被ったことによるものです。そこにインターネットは含まれていません。当時はまだインターネットがなくても人が生存することができていたのでしょう。それから三十年と経たないうちに、私たちの日常はかつてとは似ても似つかないものになってしまいました。

インターネットはただ単に人間の生命を維持するためのライフラインのひとつになっただけではありません。文明的なレベルにおいて、人間の生を不可逆的な形で変質させてしまいました。とりわけ様変わりしたもののひとつがコミュニケーションのあり方です。Hotmail(1996)や Gmail(2004)といったメールサービス、あるいは、 Mixi(2004)や Facebook(2008)をはじめとするソーシャルメディア、MSNメッセンジャー(1999)や LINE(2011)のようなメッセージアプリの登場以降、私たちはさも無料でテキストをはじめとするデータのやりとりをするようになりました。そして、このようなコミュニケーション・コストの劇的な低下をさも当たり前のように享受するようになりました。まさにそのことが取り返しのつかない帰結を招くことになるとは夢にも思わず、徒手のまま無防備にインターネットに熱中していったのです。そこにはかならず代償が伴います。今もたしかにそれを払いつづけているし、今後も負債は膨らみつづけてゆくのでしょう。その皺寄せを受けるのは新しい世代の人たちです。

その代償とは、ひとことでいえば、私たちの主権です。それが大げさに聞こえるなら、一種の自己管理能力のこと、自分で自分自身のことをなんとかする力のことと言いかえてみてもいいかもしれません。いずれにしても私たちはそのような力を失い、ある種の「デジタルホームレス化」と呼べるようなプロセスを経ることになりました。日本では、物理的かつ表面的な意味でのホームレス、すなわち路上生活者の数は、2003年を境に減少の一途をたどっていきます。そしてこの意味でのホームレスという言い方には、語弊があります。というのも、固定式や移動式の住まいの持ち主がそのほとんどだからです。そもそもホームとは何かという問題もあります。が、いずれにしても、それとはもっと別の意味でのホームレスがちょうどこのころ世界史的な規模で登場するようになったとここでは考えてみることにします。

その背景には、デジタル化された私たちの日常が大きなデータの流れに組みこまれるなかで私たちの行動の逐一がデータを生みだすようになった、ということがあります。デジタルホームレス化とは、自分自身のデータの所有権(データ主権)をはじめから持たないということです。それは私たちの手元ではなく、巨大なプラットフォームのなかにあり、それがごく一部の人間に莫大な利益をもたらしています。もうすこし言い方をすれば、私たちは日常生活をするだけで知らずしらずのうちに他人の箱庭を耕しているということ、自分たちの一挙手一投足が他人の養分になっているということです。「タダほど怖いものはない」と言います。実際、私たちは知らずしらずのうちに無償の「デジタル労働」とでも呼べるようなものに駆りだされているのです。その上、場合によっては、サブスクリプションというある種の税金を徴収されることになります。私たちがこうして一種の農奴として経済活動の一端を担わせるようになった状況のことはデジタル封建制と呼ばれることもあります。

このこと自体は驚くに値しません。資本という運動の渦中においては、世界にありふれていたもの(それを「コモン」といいます)は次第に市場原理に組みこまれてゆくものです。たとえば、土地は本来だれのものでもないありふれたものであったはずです。それが隅々まで私物化されて希少性が高まることにより、市場価値が付くようになります。歴史的には、そうして囲われた土地との結びつきを断たれた者たちが農業を放棄することで人口の流動性が高まります。そこで都市部への流入が増加し、労働者階級(プロレタリアート)が形成されていくことになります。そして、たとえば工場という別種のプラットフォームに囲いこまれ、いいように使い潰されるようになります。囲いこまれなかったものはいわゆる浮浪者(ルンペン)となり、今度は福祉という囲いこみの対象になります。

現代においても、ちょうどこれと同じような事態が世界的に起きているということなのでしょう。インターネットの普及をとおして、私たちの日常生活までもが市場原理に包摂されて収奪の対象となり、私たちのデータ主権が損なわれてゆく。産業資本主義の時代においては土地をはじめとする生産手段が囲いまれることで人が根こぎにされましたが、現代の囲いこみの対象はあらゆるデータです。

メディアの変化とともに翳ってゆく時代

これは最悪の事態というほかないです。しかし、さらに最悪なことは、すくなくとも日本語圏においては、私たちの感覚があまりにも麻痺し、鈍麻しているために、多くの人がいまだそのことに気づかずにいるということです。いわゆるデジタルネイティブ世代は、そもそもこのディストピアのなかに生まれ落ちているので、有効な比較対象を持ちません。なにかが間違っているということを皮膚感覚で感じる人は多いはずですが、その違和感には行き場がありません。

だからこそ、団塊ジュニアをはじめとする年上の世代が問題にむきあうべきだったと思うのですが、残念ながら私たちにはそのような良心がありませんでした。なによりも、孤立を恐れずにいる勇気がなく、ある種の猿山の真似事のようなことばかりを続けてきました。さらに地政学的な事情も絡んできます。米国の属国である日本はいわゆるデジタル植民地主義の最良の収奪対象になってきました。そのことはたとえば2020年の日米デジタル貿易協定に目を通すだけでも伺い知れることです。おそらくは今後も、欧州の一般データ保護規則(GDPR)のようなものが日本で成立することはないでしょう。

では、いったいどういうわけでこんな暗黒時代に辿り着いてしまったのでしょうか。ここでは、いわゆるワールドワイドウェブに話を絞り、日本語圏におけるインターネットの歴史を手短にふりかえることにします。非常に恣意的なものになりますが、便宜上、三つの大きな時代区分を設定します。

まずは、ホームページの時代(90年代後半〜)です。この時期には個々人がサーバーのレンタルをして自分のウェブサイトを持つということが往々にしてありました。プログラミングの知識は必要ではありませんでした。小学生や中学生にでもできたことです。ホームページビルダー(1996)や Dreamweaver(1998)といったソフトウェアやジオシティーズ(1997)の提供していたウェブツールを用いることで簡単にウェブサイトを公開することができたのでした。

次は、ブログの時代(2000年代後半〜)です。先駆的なものとしては、はてなダイアリー(2000)やライブドアブログ(2000)が挙げられますが、黄金期を迎えるのは、いわゆるインフルエンサーがアメーバブログ(2004)や FC2ブログ(2004)などを使いはじめてからのことです。2ちゃんねるのまとめサイトのように、Amazon.co.jp(2000)のアフィリエイト広告によって収益を上げるブログもあらわれました。この時代は、ある種の新しい民主主義の形への牧歌的かつ浅はかな期待とともに Web 2.0 という言葉がもてはやされた時期でもあります。

それから、ソーシャルメディアの時代(2010年代〜)です。日本語圏では早くから mixi(2004)が普及していましたが、やがて Facebook(2008)や Twitter(2008)といった米国のサービスにとってかわられるようになります。初期はホームページやブログの延長線上にあるもの(マイクロブログ)として位置づけられていたことと思います。やがてアルゴリズムの介入がはじまり投稿がエンゲージメント率に基づいて評価されたころから一定の投稿が瞬く間に注目を集めるようになり、「炎上」や「バズる」といった現象を引きおこすようになりました。

ここでは、このようなメディア環境の変化とともに深刻化していったものをひとつだけ挙げます。それは私たち自身の「視野狭窄」です。時間的にも、空間的にも、広い視座のなかで物事を見ることが困難になりつつあります。だからこそ私たちは今、暗黒時代にいるのです。では、私たちの視野狭窄とは具体的にどのようなものなのでしょうか。

時間的な視野の狭まり

X というソーシャルメディアの投稿欄をよくよく観察してみると「いまどうしてる?」という問いかけられていることがわかります。ログアウトをすれば「すべての話題が、ここに。今すぐ参加しましょう」という惹句がログインページに書かれていることにも気づかされます。X をはじめとするソーシャルメディアは、つねに「今ここ」というものを問題にします。こういってよければ、インターネットというもともと漠然としている空間に「今ここ」を現出させるような装置でもあるのです。

「今ここ」と地続きの情報が幅を利かせるようになり、私たち人間の注意を引きつづけるようになるということ。そのことについて二十世紀の前半から警鐘をならしていた哲学者がいます。ワルター・ベンヤミンです。ベンヤミンが特に危機感を抱いていていたのは、新聞というニューメディアの登場です。ひいては「情報」なるものの誕生です。新聞とはそもそも、時事性のある情報、すなわち繰りかえし味わうためではなく一度きりの消費が求められるような鮮度の高い情報を届けるものです。ラジオやテレビもそうです。そういった類の大衆メディアが形を変えて幅を利かせてゆくなかで、ベンヤミンが憂えていたことがあります。それは、たとえば昔話のように必ずしも「今ここ」とは結びつかないものが無用の長物として切り捨てられてしまうということです。かつては昔話のようなものの伝統によって育まれる知恵や教訓、世代をこえて受け継がれるような経験というものがありました。「今ここ」への熱狂がそういったものを壊すことになるとベンヤミンは考えていたようです。このようなベンヤミンの予感は、特に今世紀に入ってからは、デジタルな形で実現しつつある、と言うことができます。

ベンヤミンの時代にはなく現代にあるもののひとつを挙げましょう。それはソーシャルメディアのタイムラインです。そこでは無限の「今ここ」が時事の絶えまない流れを作りだしています。その原型となっているのはやはり、ブログなのだと思います。とりわけ日記ルーツとして大衆化することになった日本語圏のブログにおいては、たいていは直近の出来事がトップページをかざることになり、下へとスクロールするにつれて過去に遡るという形をとります。よくよく考えてみると、これは紙の本のようなメディアとは根本的に異なる形です。そもそも書籍というものには、カバーがあります。そうである以上、カバーを開くという手続きが必要になります。読者にはそれを開くかどうかを悩む猶予が与えられます。しかし、ブログには表紙がありません。新聞にもありません。なぜなら、そうすることで新鮮な情報を問答無用で読者の目につきつけることができるためです。さらに、ブログには RSS やニュースレター機能があります。そうすることで、通知をとおしてみずから積極的に人の注意を引くことができるようになりました。

こうした特徴は、それ以前のホームページにもないものでした。ホームページは、書籍と同様、ページを開いたときにしか読者の注意を引きつけておくことができません。そのため、時事を時事として鮮度のあるうちに語ることが難しくなります。ホームページはその点、書籍のように閉じたり開いたりできるような類の情報、明確な始まりと終わりがあるようなストック型の情報の集積にむいています。他方、ソーシャルメディアのような場所においては、さしてどうでもいい情報でも、それが時事であるかぎり、つまりなんらかの新しさがあるかぎりは、情報としての市場価値が生まれます。その結果、玉石混交の情報 faits-divers が締まりなく垂れ流れされることになります。そのような類のメディアのことを新聞やテレビも含めて「ストリーミング・メディア」と総称してみることもできるかもしれません。私自身の実感としては、日本語圏においてはこの種の近視眼的なメディアが非常に根深い形で浸透しています。

ここでは、ストリーミング・メディアの問題点をひとつ挙げます。それは、私たちの集中力を損なう、ということです。集中力とはそもそも、この自分自身の「今ここ」に没入にする力です。しかし、あまりにも無数の「今ここ」、もともと自分のものではなかったはずの「今ここ」に包囲されることで、私たちの注意力はじわじわと蝕まれます。そうして、いわゆるアテンション・エコノミーの流れに組みこまれ、自分自身の集中力の輪郭や自分自身の時間の一貫性を見失うことになります。ひいては、それが長期的な見通しを持つことを困難にします。なにかに注意を払うということは、無償の行為ではありません。それは文字通り、注意という対価を支払わされている、ということです。その結果失われるのは、広い視野です。

空間的な視野の狭まり

インターネットという語にはさまざまな意味の広がりがありますが、狭義にはワールドワイドウェブ(WWW)を指します。ワールドワイドウェブはもともと、HTTP(ハイパーテキスト・トランスファー・プロトコル)を介したウェブサイトのネットワークとして構想されていました。Wikipedia がその典型ですが、ハイパーリンクをクリックすれば別のページに移る、という仕組みです。たとえば、ホームページやブログの時代にはいわゆる「相互リンク」という文化があり、ゆるやかな人と人のつながりが形作られていました。また、初期の Yahoo! のように自己申告式のウェブサイトの目録を作ろうとする試みもありました。

ところが、Google が登場すると、Bot がインターネットの巡回をはじめ、ウェブサイトの存在や内容を大規模な形で把握されるようになりました。そして、被リンク数などに基づきウェブページに優先順位がつけられるようになりました。そこで、ネットワークの要所となるようなページが検索結果の上位に表示され、さらにいっそうアクセスが増えるようになります。ようするに、みんなが使っているから使う、というような状況が生まれます。ある種の重力が発生して無軌道的だった交通の流れが方向づけられ、ネットワークに偏りが生まれます。これをネットワーク効果と言います。

同様の現象は、ソーシャルメディアの内部にも見られます。人の注意を引く投稿がさらにいっそうの注意を引くことになる。その結果、インフルエンサーのように重力を持った存在が生まれ、人と人とのつながりであるソーシャルグラフにも偏りが生じます。技術的にそれを可能にしたのは、ハイパーリンクのような仕組みではなく、リポストという HTTP とは無縁なものです。もしそれが単なるハイパーリンクであったのなら、それは別のウェブページへの交通の経路にしかなりません。それはいわば、好きな本のおすすめをするようなものです。相手が実際に手にとって開いてみないことには、それはあくまで経路にとどまります。それと違い、リポストはいわば本を相手の目の前で強引に開いて見せる、という衝迫的な形をとります。そうして人に注意を支払わせることで、人の集中力をアテンション・エコノミーに組みこむことになります。

このとき、ソーシャルメディアは、こうしてネットワーク上に構成されてゆく私たちの注意の流れをプラットフォームのなかに囲いこもうとします。たとえば、強い重力を帯びた情報がプラットフォームの外部のものであること、ハイパーリンクを経由して私たちの注意が外部に漏れることは望ましいことではありません。「リポスト」や「いいね」のようなシステムの内部的な仕組みはそういった流出を未然に防ぐためのものです。

ネットワークの偏りは、いわゆるエコーチェンバー(類は友を呼ぶ)現象を生み出します。しかしこれは単にソーシャルメディアの内部が複数のクラスターに分断されるということにとどまりません。さらにそれぞれのソーシャルメディアがひとつの小さな箱庭となり、とりわけ世代間の分裂を深刻化させることになります。私の印象では、日本語圏では Facebook は四十代以上、X や Instagram は三十代、TikTok や BeReal、Misskey のようなものはさらに若い世代に好まれているような気がします。

このような空間的な分断は、それぞれの世代に訴える「今ここ」が大きく異なるためでもあるのでしょう。しかしそのために困難になっているのは、どちらかといえば中期的な意味での歴史の共有です。私たちはこの三十年をかけて上の世代や下の世代からじわじわと切り離され、同世代という内輪空間にとざされてゆくことで、外部へのまなざしを失いつつあります。たとえば「昭和っぽい」という感覚は、多くの世代に共有可能なものです。それはきっと何らかの一貫した特徴を昭和という時代に見出すことができたためです。それに比べて、ある種の最大公約数としての「平成っぽさ」を思い描くことははるかに困難なように思えます。

視野狭窄に陥った私たちが明け渡しているもの

私たちのデジタルホームレス化は、このような視野狭窄ととも深刻化しています。一般論として、私たちには自分自身の重力があります。私たちは身体をはじめ、私たちが自分自身であるための拠点をなんらかの形で持っているものです。しかし、現代においては、ともすると大きな重力に飲まれてしまい、自分らしくいるための手立てを剥奪されてしまいます。それが日本においてはデータ主権の喪失という現実的かつ大規模な形で結実しているということが、今ここで問題になっていることです。

インターネット上の私たちは「デジタルアイデンティティ」とでも呼べるようなものを持っています。私たちには、自身の名義に紐づけた形で創出や生成、保存してきたようなデータがあります。電子的なあらゆる形でなされた人とのやりとりや人とのつながりを含め、それは非常に広範なものになります。そして、その多くが今、ほんの一握りのプラットフォームに明け渡されています。

X というソーシャルメディアを例に挙げましょう。X は今、あきらかに劣化 enshitification の過程のなかにあります。いちばんわかりやすい劣化の形としては、無料プランにおける広告の氾濫が挙げられるでしょうか。それは運営陣の怠慢によるものではありません。収益を最大化するため、意図的に無料プランの利用者が犠牲にされているのです。プラットフォームは、それが成功したものであればあるほど、利益のために利用者の足元を積極的に見ようとします。日本語圏におけるXの場合は、とりわけ三十代を中心にした人がそこに自分自身のデジタルアイデンティティを築いてきました。X をやめることは、自身が長年にわたって築きあげてきたものを放棄することを意味します。なぜそのような一蓮托生の事態になっているかというと、データポータビリティがないこと、つまり他のプラットフォームにデータを移すことが不可能であることを知りながら、X という箱庭をさも自分自身の畑のように耕してきたためです。そして、そのような自暴自棄の利用者が多い結果として、そこに強力なネットワーク効果が生まれます。みんなが X を使っているので、結果的にはそれでも構わない、というような惰性に陥ります。しかしその「みんな」とは、単なる同族にすぎない者たちです。同様の劣化現象は、LINE をはじめとするその他のプラットフォームにも見られます。これは個々のプラットフォームに固有の問題なのではなく、プラットフォームがプラットフォームであるかぎり不可避のものです。

私たちはこうして自分自身の首を締めてゆくことになります。はじめは弱火で生きたままじわじわと煮こまれたカエルが熱さのあまり跳び出すことはないというまことしやかな俗説があります。実験をしてみると実際には跳び出すことがわかるのですが、私たちの場合はまだ熱さが足りないということなのかもしれません。あるいは単にカエルほどの瞬発力を持ちあわせていないだけなのかもしれません。次第に強まってゆく閉塞感を覚えつつも、箱庭の外に踏みだすことができない。あるいは、箱庭を飛びだしたところで、また別種の箱庭に囲いこまれることになる。どこにいっても抜けだせない。

それが私たちが多かれ少なかれ直面している現実です。私たちがそのときプラットフォームに明け渡しているのは、ひとことでいえば、自由です。自分が自分らしくいるための力です。私たちは今、いつになく不自由な生を強いられています。

ありふれたもののなかに自由がある

これも今は昔のことになりますが、Google はかつて「Don’t be evil(邪悪になるな)」というモットーを掲げていました。裏を返せば、それだけ自分たちが強大な存在になれるということを認識していたし、そのことを本当に怖れていたのでしょう。今では、ガザでの大量殺戮に深く関与している企業のひとつです。現代においては Google という企業ほど「タダほど怖いものはない」という言葉をわかりやすく物語ってくれるものはありません。日本語圏では、そんな Google が無料で提供する Gmail や Google Search をみな平然とした顔で使っています。

タダほど怖いものはない、というのは、一面においてはある種の真実を言いあてています。とはいえ、一面においては完全に間違っていると言わざるをえません。資本主義の論理の貫徹する世界においては、それはきっと正しいことでしょう。たとえば、北京の青空、北京の澄んだ空気には、莫大な対価が伴っています。北京で暮らす人々の視野には入らないところにいる無数の人々がその皺寄せに深く苦しんでいます。そのような例が他にも無数にあるのでしょうが、それでもこの地球上の多くの場所ではきっと、それなりにきれいな空気はまだごくありふれたものとしてあるはずです。

このことはインターネットを考える上でも示唆的です。インターネットにはさまざまなものが膨大な形でありふれています。ありふれたもの(コモン)とは、市場に囲いこまれた希少物とちがい、共有財としてだれしもに開かれたもの、それだけゆたかにあるものだということです。ここでいうゆたかさとは、経済的な潤いのことではなくて、むしろその反対に、お金にはなりにくいもの、市場原理の外にあるもののことです。本当は、インターネットはそのような意味でゆたかな世界でもあります。

インターネットにありふれたものをすべて囲いこもうとした最初の企業が Google なのだしたら、さらにそこから一歩進み、囲いこまれた有象無象のデータをある種の蒸留や濾過の装置に通し、そのエッセンスを AI という対話形式のインターフェイスをとおして有益な形で取りだしてみせたのが OpenAI のような企業だと言えます。ひとことでいえば、最悪の事態です。ありふれたものをどこまでも収奪しようとするこのような動きにこれからどうむきあっていくのかということについて、私には今、答えがありません。しかしそれでも、ありふれたものはいまだありふれた形、ゆたかな形で、インターネットのそこかしこに満ちているのも事実です。

特に日本語圏においては、それがなかなか見えてこないようになっています。それはこの三十年にわたって深刻化してきたデジタルホームレス化による視野狭窄の結果でもあるのですが、私たちが日本語圏という小さな言葉の世界にとどまり、デジタル植民地主義の食い物にされているということへの自覚を欠いているためでもあります。たとえば、Yahoo! Japan というウェブサイトには、GDPR に守られた欧州からはアクセスができません。私たちの多くはその意味もわからないどころか、その事実にさえ気づかずにいます。

世界に目をむけてみると、さまざまな反プラットフォームの運動があることに気付かされます。私自身は欧州で暮らすうちにそのことを痛感しました。残念ながら、日本語圏にはそのような文化があまり根づいていません。私たち自身がとても根深い形でその渦中にある問題を語ろうとするたび「意識が高い」とか「思想強め」とか「出羽守」といった保身の言葉にもしばしば出会うことになります。ただ、そういったことを嘆いていてもはじまらないので、この文章の結論に代えて、私自身が最近かかわりはじめた運動のマニフェストを紹介します。Orillo.org という運動です。

あなたは今、プラットフォームにのせられていませんか。プラットフォームというのは、だれかの用意した仕組みのこと、一種の「テクノロジー」のことです。それはたとえば、ソーシャルメディアのような場所にかぎった話ではありません。学校や企業、工場もそう。社会保障や税制をはじめとする制度も、広い意味でのプラットフォームです。ともすると私たちは、そこから不本意におちてしまうことがあります。しかしむしろ、勇気をだしておりてみたとしたら、どうなるでしょうか。もしかすると、そこには本当の意味でのゆたかで自由な世界がひろがっているかもしれません。Orillo はそろそろとおりた先で地に足をつけて歩きはじめるための運動です。

きっと、これが大きな社会運動になることはないでしょう。しかし、そもそも社会とは何でしょうか。たとえばこの日本列島には「日本社会」という単一の社会があるわけではありません。複数の社会があります。もしかすると、複数の国さえあるかもしれません。かつては複数の天皇がいたこともあるこの列島です。いわば穴だらけのチーズのようなものです。そして、穴をぬけると、思わぬところに通じているということもあるかもしれません。そんな穴があるというだけで、きっとこの世界の風通しもすこしはよくなるはずです。

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